2013年2月23日母が亡くなりました。
享年101歳。
大往生でした。
しかし泣き明かしました。
亡くなる6年位前から認知症の症状が加速し、その間私が娘である事も分からず空しい思いをしましたが、病院に行くと嬉しそうにしてくれていた事が何よりでした。
今年の1月頃から急に弱ってきていたので覚悟はしていました。
亡くなる2日前に見舞いに行った時、1日中殆ど眠って目を開けないのにその日は私の声で目を開け、まるで良く来たわねと言わんばかりの顔をして私を見たのは目に焼き付いています。
それが母との最後でした。
101年の歴史は一言では語れませんが、母が元気だった頃語っていた昔話を聞いているとそれぞれが1本の映画になるようなものばかり。
まさにドラマチックな人生でした。
ひとつひとつ語ってあげるのが母の人生への賛美になりますが、1世紀分は無理だと母にblogを書く前に謝っておきました。
でも母らしいエピソードをひとつ。
母が中国の北京に住んでいた時の事です。
日本軍が中国で威張り始めて来た頃、中国人の人力車に乗った日本の憲兵(軍事警察)が降りる時お金も払わず立ち去ろうとしたのを見た母は、その憲兵にお金を払わず去るなど日本の恥であり人として最低だというような事を言い放ったそうです。
怒った憲兵は腰の刀に手をやり母を今にも切らんばかりだったそうですが、母が身じろぎもせずその憲兵を睨みつけていたら彼はひるんでしまい乗車代金を地面にたたきつけて去って行ったそうです。中国人車夫は母に凄く感謝してくれたそうです。
この頃の日本人や中国人は憲兵等に逆らう等考えられない行為だったそうなので母からその話を聞いたとき勇敢だと思う反面、無鉄砲な母だと思いました。
でも生涯通して曲がった事が大嫌いな人でした。
こういう様々なドラマチックな事をくぐり抜けて来たからこその強さを持った母でした。
母が亡くなって1ヶ月ちょっとですが、その間長男夫婦や次女夫婦はいろいろサポートしてくれたり、長女夫婦も孫を連れて帰国してくれて沢山の元気をもらいました。
母の命は消えても新しい命が誕生し繋がって行くのだなぁと孫を見ていると思います。
命は形を変え永遠なのですね。
そして散った命は星になるとこの年になっても思っている私です。
最後まで読んでくださってありがとうございます。