この前のNHKオリンピックドラマ「いだてん」
(前畑がんばれ)を見て母を思い出しました。
母は明治44年生まれですが、
非常に進歩的で、
何事にもアグレッシブに挑み、
努力を惜しまない人でした。
1936年のベルリンオリンピック大会において
水泳で金メダルを取った
前畑選手と母は水泳のオリンピック予選で
一緒に泳いだことがあると自慢げに言っていました。
予選落ちでしたが。。。
また、オリンピック参加や開催に力を注ぎ、
講道館柔道の創始者、
嘉納治五郎氏は、私の祖父と盟友で、
祖父が家を建て直す時に、
今は史跡となっている東京都文京区にある
「湯島の聖堂」に一時、住む手配をしてくれて、
母はそこで生まれました。
母はいつも、
湯島の聖堂で生まれたのは
唯一私だけと言っていました。
更に詳しく書きますと、
嘉納治五郎氏は教育者でもあり、
祖父も教育者でしたので
その繋がりでした。
何故、湯島聖堂に一時とはいえ
居所にしてくれたかというと、
祖父は、東京女子師範学校
(現在のお茶の水女子大学)の
校長に赴任する予定だったため、
新年度が始まるのを目処に
嘉納治五郎氏の口添えで
居住していたという
経緯があったためです。
更に詳しく書きますと、
嘉納治五郎氏は教育者でもあり、
祖父も教育者でしたので
その繋がりでした。
何故、湯島聖堂に一時とはいえ
居所にしてくれたかというと、
祖父は、東京女子師範学校
(現在のお茶の水女子大学)の
校長に赴任する予定だったため、
新年度が始まるのを目処に
嘉納治五郎氏の口添えで
居住していたという
経緯があったためです。
小さい頃から「嘉納治五郎」という名前は
母から聞いていましたが、
祖父の友達の一人という程度にしか
理解していませんでした。
私は運動神経がないので、
水泳もオリンピックも柔道等、母の話には
若い頃、全く興味は無く
聞いているふりして聞き流していました。
しかし2020年に
2回目の東京オリンピックに向けて
あらゆるメディアで
2回目の東京オリンピックに向けて
あらゆるメディアで
数々のオリンピックの
ドラマや
ドキュメンタリーを見るにつけ、
ドラマや
ドキュメンタリーを見るにつけ、
母の運動神経の良さに驚き、
というか水泳がそんなに凄いのと
歴史上の人物との関わりが深かったと実感しました。
奇しくも私は、
1964年の東京オリンピックで
防衛大学の吹奏楽部の街頭パレードの先頭で
プラカードを持って行進しました。
選抜は高校生以上ということだったのですが、
ある基準をクリァしたので
特別枠で選んでいただきました。
特別枠で選んでいただきました。
開会式も会場で見ましたが、
ブルーインパルスが描いた
五輪マークしか覚えていないくらい、
今ほどオリンピックに対する熱量は
大人ほど
子供達の間では無かった感じです。
今の様にスマホもなかったから、
現上皇・上皇后樣も至近距離にいらしたけど
写真など手軽に撮れませんでした。
スマホがあっても
それは無理でしょうけど。
(カメラ持ち込みNGだったという記憶が
うっすらとあります。)
1964年、初めて東京で開催された
記念すべき東京オリンピクでの経験。
今日の私の記事も、
私の孫たちは我が家の歴史の一つとして